大塚 亮子さん
震災があったとき時は私は育休中でしたが、都会では混乱と不安の中で主人がすぐに帰宅することができなかったこと、放射能被害で子どもたちの健康が脅かされる危険性があることなどから、移住を決意しました。移住先の条件として譲れなかったのは、安全なことはもちろんですが、主人が仕事の都合で東京を離れられず、私も勤めに出ることから、子供が保育所や学童保育に入りやすいことも生活するうえで必須でした。
いろいろと調べているうちに、阿波市なら子育て支援・サポート制度も充実していることがわかり、見知らぬ土地でしたが〝ここなら安心して子育てができる″ と感じて移住を決めたんです。実際に移り住んでからは、地元の方々や職場のみんなが私たち家族をとても温かく迎えてくださり、不便や戸惑いを感じることなく生活できているのは、とてもありがたいと感じています。大変なことを強いて挙げるなら、東京でペーパードライバーだった私が、職場まで毎日運転しなければいけないことぐらいですね(笑)。
いろいろと調べているうちに、阿波市なら子育て支援・サポート制度も充実していることがわかり、見知らぬ土地でしたが〝ここなら安心して子育てができる″ と感じて移住を決めたんです。実際に移り住んでからは、地元の方々や職場のみんなが私たち家族をとても温かく迎えてくださり、不便や戸惑いを感じることなく生活できているのは、とてもありがたいと感じています。大変なことを強いて挙げるなら、東京でペーパードライバーだった私が、職場まで毎日運転しなければいけないことぐらいですね(笑)。