
「畑で美味しいものを自分たちの分だけ作って、プラスアルファで友達にあげられたらいいなぐらいに思ってた。理想も何もなかったから、気負いもないよね」
出荷を待つ新鮮な野菜でいっぱいになった作業場でそう話してくれたのは、阿波市で「こひめ農園」を営む小川愛さんだ。東京で生まれ育ち、都内で多忙な会社員生活を送っていた彼女だが、ある日ふと「あ、私、2年後に会社やめるわ」というご神託が頭に浮かんだという。そのお告げ通り、2019年10月頃に退職。2020年3月には一家で徳島県阿波市に移住した。その後、思わぬ形で4反半の畑と出会い「これはもう、農業をするしかない」と独立開業し、現在に至る。
移住は人生の一大転機のひとつであり、さまざまな不安を感じてつい腰が重くなるのは当然だ。しかし、「会社をやめたい」という率直な気持ちと「やると決めたらやれるんだよ」という勢いで移住を決めた小川さんからは、気負いなく踏み出してもいいという、新しい生き方が見て取れる。
そんな小川さんの移住物語を、早速ひもといていこう。
小川さんを形作ったユニークな環境
東京都調布市に生まれ、結婚後は隣の稲城市で暮らしていた小川さん。小さいころはよく、山菜採りが好きな親と一緒に山に出掛けては、木の枝をかきわけながら、わらびやぜんまいなどを採って楽しんだという。彼女の生活の中にはしっかりと、自然と触れ合う機会があった。「東京と言っても、田舎の方に暮らしてたんだよ。あと、いわゆるまちなかは好きじゃなかったね」。
さて、そんな小川さんはどんな子どもだったのだろう。質問してみると「まあ、面倒くさいやつ。正論を言って大人を怒らせちゃったりしたかな。あとは、1人でも平気なタイプ。集団行動は嫌いだった」と苦笑いしながら答えてくれた。自分の意見や考えを持ち、周りに流されることを好まなかった。
高校に進学後、ある先生との出会いで生物学に興味を持つことになる。「面白い生物の先生がいたんだよね。テストは持ち込みOKの記述式だったんだけどすごく難しくて。暗記じゃなくて、自分で考えて解きなさいって言ってるみたいな問題だった。授業も教科書に沿うというよりかは、特集番組を見せられたりしてたよ」。独特な授業スタイルに多くの生徒が脱落したが、小川さんは「生物って面白い!」とハマった。地学の授業も楽しかった。埼玉県の長瀞町に行き、川辺で岩石を拾ってはひたすら研磨したという。「本当に重労働だったね。でも、それを顕微鏡で見たら綺麗な結晶がたくさん見えてね。すごく面白かったよ」。
ユニークな環境のもと、生物学への興味を強めた小川さんは、進学した大学で生物研究に取り組んだ。この時、後の夫となる大学院生の直樹さんと出会う。直樹さんもまた、生物研究をしており、小川さんいわく「研究者タイプでおたく気質な人」なのだそう。なお、二人は9年間付き合った後、結婚した。話を戻すと、大学4年時には大学院試験を受けて合格。晴れて大学院生となったが、研究室の先生との考え方が合わず大学院を中退した。「ドクター(博士号)まで行こうって思ってたけどもういいやって、やめちゃった」。
その後、派遣社員として大手食品会社の研究所に勤めながら、正社員の仕事を探した。そんなある日、臨床試験のサポートをする仕事の求人情報を見つけた。「仕事の内容がいいなって思ったのと、勤務先が実家の近くだったの!これ、自転車で通えるじゃんって大喜びしたんだよね。満員電車に揺られて通勤なんか、絶対したくなかったから」。この機を逃すまいと応募したところ無事採用され、正社員としての生活が始まった。
「あ、私。あと2年で、仕事やめるわ」
仕事は大変だったが、楽しかった。日々医療現場から提供されるデータを分析し、新しい薬や治療法の安全性や効果の有無を評価した。そんな中、2011年3月11日に東日本大震災が発生。東京に住み続けることに一抹の不安を覚えたという。それから数年後、ふとあるお告げのようなものが浮かんだ。「『あ、私、あと2年で仕事をやめるわ』って思ったんだよね。こういうのをご神託って言うのかな?とにかく2年後、本当に仕事をやめているかもしれない。そうなったらお金も無くなってしまう。じゃあ、やっぱり移住だ。田舎に引っ越そうって決めたの」。
このご神託が浮かんだ後、小川さんは2年間移住先を調べ、移住のマッチングサイトを通じて阿波市で農業体験をさせてくれる農家を見つけた。さっそく農業体験に応募した小川さんは、2019年のゴールデンウィークにはじめて阿波市を訪れ、2回目となる同年8月には農家さんから「こっちに来るんだったら、畑も貸すよ」と言ってもらえた。そして、2ヶ月後の10月には退職。翌月にはこども達のデュアルスクール(*1)も利用した。「昇給・昇進した時の全盛期に仕事を辞めたから、同僚はおどろいていたね。私の退職日が決まった後、部署内に通知メールが一斉に流れたんだけど、どこからか『NOOOO!』って声が聞こえてきたよ」。なお、同僚から退職の理由を聞かれた際「畑をするから」とこたえたところ、同僚はうなずきながら「ああ、わかるわかる」と納得していたという。
小川さん自身、農業は全くの未経験で、過去にはプランターで育てていた植物を枯らしてしまうほどだったが、自分たちの分だけを作るのならばなんとかやっていけるのではと考え、直樹さんの了承を得たうえで、2020年3月に一家で阿波市に移住。阿波市土成町にある移住おためし物件「土成の家」に滞在しながら阿波市の空き家バンクで家を探し、現在の住居を見つけた。
「農家になるしかない」という直感のおもむくままに

阿波市での生活が始まった。小川さんは、「ずっとフルタイムで働いてたでしょ?だからここで人生の夏休みを楽しもうって思ってたの、ほんとはね」と当時を振り返る。ところが、もともと腰痛気味だった直樹さんが2020年6月のある日、農作業中に動けなくなった。病院で診てもらった結果、椎間板ヘルニアを発症していたことがわかり、直樹さんは入院を余儀なくされた。「もうね。本当にびっくりだよ、これどうするのって。というか、私の人生の夏休み、どこへ行った!?って」。当分の間、お見舞いに行きつつ、一人で畑仕事をする日々が始まった。「阿波市で仲良くなった友人が病院まで車で送ってくれたの。これは本当に助かったね。だって私、ペーパードライバーだし」。ところで、この状況は相当大変だったのではと聞くと、笑いながらこう振り返ってくれた。「逆境だよ逆境。これはいつか、朝やってる連続テレビドラマになるぞみたいな感じだったね」。予期せぬ出来事で「人生の夏休み」はあっという間に終わりを告げたが、日々の農作業を通じて、畑仕事に関する知識を習得した。その後、直樹さんは順調に回復し、現在は元気に畑で汗を流している。

2年の月日が流れた。畑仕事にも慣れ、そろそろ自分の畑を持ちたいと考えていた小川さんは大家さんに相談を持ちかけた。すると大家さんは、小川さんが畑を探しているという内容の手紙を周囲に配ってくれたり、声をかけたりしてくれた。そのおかげで、ある近所の方が「まとめて使ってくれるなら、お貸ししますよ」と言ってくれた。詳しく話を聞くと、その畑の広さは何と4反半(約4,500㎡)。テニスコート約17面分という広さだ。「2反ぐらいの畑ができたらって思ってたんだけど、ふたを開けたら4反半!びっくりしたね。それで思ったの。もうこれ、農家になるしかないって。じゃあ頑張るかって」。新規就農を決意した瞬間だった。
やると決めた小川さんはさっそく補助金申請に取り掛かったが、阿波市では農薬や化学肥料を使う従来の「慣行農法」しか前例が無かった。対して、小川さんが取り組もうとしていた農法は慣行農法とは異なっていたため、阿波市役所と吉野川支援センターに何度も行き来しては相談する日々が続き、申請に苦労した。しかし、その苦労は実を結び、自然栽培で阿波市内初となる補助金が交付された。「これは新規就農をしようとしたからこそわかったこと。こういうことは、これから農家をはじめようとする人にも伝えたいと思った」。そんなさまざまな壁を乗り越えて2022年7月、小川さんは「こひめ農園」を立ち上げた。ちなみにこの「こひめ」とは、お子さんたちの名前の頭文字を組み合わせたもので、娘さんが発案した。
より多くの美味しいものが集まる暮らしをもとめて


独立後、4反半の畑を管理することになった小川さんは、それまで取り組んできたやり方では夏場の草の管理が大変なため、農法を変えようと考えた。そんな折、関東の友人から「菌ちゃん農法」について耳にした。「菌ちゃん農法を発案した吉田先生はもともと化学の人。合理的な説明で、原理が理解しやすかったね」。なにより、雑草が生えにくく、一般的な自然栽培の土づくりの中では、早く結果が出る点が大きなメリットだった。「私たちにとって大切なのは食べること。まず野菜が収穫できることが一番大切だからね」。さっそく小川さんはインターネット上の情報や文献を参考にしながら、アレンジを加えつつ実践した。その結果、菌ちゃん農法は功を奏し、みるみるうちに作物は育ち、予想をはるかに上回る量の作物ができた。「1年目は気候が良かったこともあって、野菜がたくさんできちゃったの。売り先もないのにね。さて、これどうしようって悩んでたら、友人が有機農産物など自然食品を扱うお店を紹介してくれたから助かったね。あと、出荷した野菜の半分はこども食堂に届けたよ」。
独立後は徐々にこひめ農園の野菜を求める人が増え、いろんな人が農園に遊びにくるようになった。また、生産者の仲間も増えて、気がつくと小川さんのもとには美味しいものが集まってくるようになっていた。「いろんな人が美味しいものを片手にふらっとやってきて、『愛さん、これ食べる?』って言ってくれるようになったの。楽しいよね」。東京の頃からあまりお金を使わない生活をしていた小川さんにとって、興味があるのは美味しいもの。綺麗な家や服、高い車は必要ない。一般的な家庭よりはお金を使わず生活している。だから、お金のためにあくせくしなくていい。大好きな食を堪能できる暮らしこそ、小川さんが望んでいたものであり、それをこの阿波市で実現させた。


2025年11月現在、こひめ農園は7反弱の畑を管理し、年間を通じて常時30種類以上もの作物を栽培するようになった。また、こひめ農園に滞在しながら地方移住や農的くらしを体験できるプログラム「農的くらし・はじめの一歩」をはじめた(*2)。この取り組みは、多くの人が一緒になってこひめ農園の畑を面白がる機会のみならず、美味しいものや新たな人との出会いを生み出すことになるだろう。
最後に今後の目標について聞いてみると、小川さんは笑いながらこう答えてくれた。
「うーん。もっともっと美味しいものを増やしたり集めていきたいな。果樹も植えたし、鶏もかなり増えたし。それが今後の目標かな」。
なんとかなるよ!
とにかくゆるい。ゆるいことは素晴らしい。私はこのまちのことを「道楽の町、阿波市」って呼んでるの。お金儲けより道楽を大事にする人が多いように思う。
<キーワード>
(*1)デュアルスクール:
徳島県が行っていた、地方の学校と都市部の学校を行きしながら学ぶことができる教育制度のこと。
※現在、デュアルスクールが実施されているかについては各自治体に確認が必要となります。
(*2)農的くらし・はじめの一歩:
通年募集のため、ご興味のある方はこひめ農園様にお問い合わせください。