2018年7月、阿波市で初めてとなるこども食堂「ニコニコこども食堂」が誕生した。素材や栄養にこだわった、彩り豊かなメニューが毎月提供されるとあって、開設以来多くの市民に利用されてきた。その中心にいるのが、愛知県名古屋市から移住してきた来田美晴さんだ。「縁もゆかりもまったくなかった」という阿波市で、どのような経緯でこども食堂を開設したのだろうか。あたたかい阿波市の人々に背中を押されて思いを形にした、来田さんの移住物語をひもとく。
南米ボリビア留学が培った「タイミング」と「直感」に従う生き方
栃木県出身の来田さんは大阪の大学院に在学中、3年間南米ボリビアへ留学。先住民の暮らしを研究すべく集落で生活をともにした日々はまさに、来田さんが生きるうえでの指針を得る旅となった。「人間の力ではどうすることもできないような、広大な自然の力に圧倒されました。厳しい環境で暮らす先住民の方からは、タイミングや直感に従うことの大切さを学びました。人間(個人)の力とはまた別の何かがあるんだなと思うようになりましたね」。例えば何かを始めようとした時、誰かから後押しされると「今だ!」と即行動に移す。反対に、人が集まらなかったり、その日が雨だったりすると、「これは応援されてないな」「何かありそうだ」と決断を保留させるとともに、他に違う方法はないだろうかと考え直すようになったという。来田さんがボリビア留学で得た学びは、やがてさまざまな場面で活かされることになる。
縁もゆかりもまったくない阿波市への移住
そんな来田さんに留学後、人生の転機が訪れる。大学院主催のイベントに参加した際、5年ぶりに再会した同級生と意気投合。「もともと顔見知りだったけど、久しぶりに会ったらすごくいい感じになった」という来田さんは結婚を決め、夫の勤務する食品会社がある愛知県名古屋市に引っ越し、娘さんを授かった。臨時で勤めていた学童保育を辞め、子育てに専念する予定だったが、その矢先、娘さんがアトピーを発症。これを機に、もともと自然が大好きだった来田さんは、落ち着いた環境で娘さんのアトピーを治したいと田舎暮らしを検討するようになる。そんな折、夫が添加物や化学調味料を使用しない食品会社に転職することとなり、2017年1月、徳島へ移住した。
移住先は、会社周辺の自治体を検討した結果、空き家バンクや移住相談、お試し物件など移住支援体制が充実している阿波市に決めた。住まいもいくつか見て回る中で、「ここだ!」という家に出会う。「柱が昔風でとても立派だし、家の前には畑もあって。いいなって思いました」。契約後、家の骨格は残しつつ、阿波市の補助金(*1)を活用してリフォームを実施。取材時にいらっしゃったニコニコこども食堂のスタッフの方が「来田さんのお家、本当にいいですよ」というほどの家に生まれ変わった。
自然に囲まれたおだやかな環境と「ラテン系」な阿波市民との出会い
こうして始まった阿波市での暮らしは、驚きの連続だった。まずは、環境。名古屋に住んでいた時、日に一度は救急車のサイレンが聞こえたというが、阿波市はとても静かで、時折響き渡るのは美しいウグイスの鳴き声。周囲に目をやると、丸みを帯びた緑深い山々。この風景を眺めるのがとても楽しいと、来田さんは話してくれた。「栃木に住んでいた時、山といえば遠くに見えるものだったけど、ここではすぐそこにあるのがとてもいいですね」。
人の温かさにも驚かされた。まだ居住する前に敷地の片付け作業をしていた際、よくお隣さんが声をかけてくれ、お茶もご馳走になった。「物捨てに行くんやったら、うちの軽トラ使いなだ(使いなさい)」と言ってくれたり、シャワーも貸してくれた。そんな阿波市民を来田さんは「ラテン系」と表現する。「すごく親切。壁を作らないし、表と裏が違うこともない。率直な人が多いなって思いましたね」。人懐っこくて、本音を隠さない。そんな気質の人との出会いは、来田さんに楽しい新生活を予感させた。
娘の手作り弁当を作る日々で芽生えたこども食堂への思い
引っ越し作業も終えてひと段落したのも束の間、保育園に通う娘さんのため、アトピーに配慮した弁当を作る日々が始まる。それは、食への理解を深める日々の始まりでもあった。なるべく薬に頼らず症状を緩和させるために、様々な情報を取り寄せては学び、試行錯誤を重ねた。やがてその努力はしっかりと実を結び、数年後には娘さんのアトピーも完治した。そんな働きながらの弁当作りは大変だったけれど、気づきもあった。それは同様に、世の中の親御さんたちもきっと大変だろうということ。その気づきは次第に、食にこだわりながら、忙しい親御さんたちの手助けとなるようなこども食堂をしたいという思いに変わる。
ある日、来田さんは行動に移す。自宅でこども食堂が開設できるか保健所に相談したが、お店を開くほどの設備が必要と言われた。(*2)「シンクの数や、手洗い場などさまざまな条件が必要だとわかって、これはちょっと難しいかなと思いました」。しかし、「タイミング」は突然現れる。2018年2月、阿波市阿波町でまちづくりを進める井原まゆみさんから電話が入る。「来田さんがこども食堂をやりたいと聞いて電話したんよ。実は、アワーズ(*3)の事務局長が『誰かこども食堂をやりたいって人おらんで?』って言よんよ」。まずは、井原さんからツリーハウスの森(*4)にある花壇の整備の手伝いに誘われ、直接会って話をした。すると、その話はすぐに事務局長の元へ渡った。話し合いの結果、アワーズが無償で場所を提供してくれることになり、その日のうちにとんとん拍子に話が進んだ。
これこそ後押しであり、逃してはいけない「タイミング」そのものだった。井原さんの提案に乗った来田さんは、こども食堂開設に向けて動きを加速させる。場所は、アワーズが無償提供してくれることとなり、食材についてもこども食堂計画に賛同した地元の方たちが提供してくれた。運営スタッフとしては、井原さんをはじめ地元の方が協力してくれることとなり、2018年6月には準備検討会を実施。翌月、「ニコニコこども食堂」を開設できた。
利用者の反応はどうだったのだろうか。聞くと、「当時はまだ、こども食堂という言葉が阿波市では認知されていなかったようで、『なんだろう?』と不思議そうに見ている人がたくさんいました。でも運営スタッフの方が、小学生の子達をたくさん集めてくれました」と来田さん。やがて、食材にこだわる姿勢が評価され、毎月多くの利用者でにぎわうこととなる。また、運営する中で嬉しいこともあった。ある利用者の方が「このお味噌汁何が入ってるん?普段いっちょも(全然)食べんのにこども食堂の味噌汁は食べたんよ!」と驚きながら話してくれたという。「味噌汁は出汁にこだわっています。市販製品は使わずに、いりこからしっかりととるようにしています」。娘さんのアトピーを治そうと、試行錯誤の末に得た食の知識はここで活かされた。
時は過ぎて2025年1月。ニコニコこども食堂は、アワーズから阿波市阿波町にある「勝命サブセンター」に移転した。場所がなくなれば活動を辞めざるを得ないと思っていたが、今来ているこども達が続けて来られるようにと、運営スタッフの方が勝命サブセンターのことを教えてくれた。そして、阿波市役所からは「自由に使ってもいいですよ」と、許可を得た。さらに、むすびえからは冷蔵庫を、ニッセイ財団からの支援で同施設内にガスオーブンを設置できた。こんなふうに、「タイミング」は次々と来田さんの前に現れた。「これはもう、まだまだ活動しなさいというサインだなって思いました」。さらに、市場町の住民の方からも声掛けがあり、2025年5月に始まった「いちば子ども食堂〜一期一会〜」の主催も務めることとなった。来田さんの思いは、阿波市にこども食堂という文化を確かに広げた。
「長屋文化」の復興を目指して
来田さんには現在、新たな目標が芽生えている。それは、ニコニコこども食堂を通じて「長屋文化」を復興させることだという。長屋と聞いて思い浮かべるのは、時代劇に出てくるような平屋建ての集合住宅で、隣近所の交流と助け合いが盛んな暮らし。現代のこどもの食における様々な問題は、コミュニティの解体から始まったと来田さんは考える。「昔は困り事があれば自然と隣同士で助け合う風潮がありました。気を遣ったり、しがらみのむつかしさもあるけれど、長屋生活でお互い助け合って楽な面もきっとあるはずです。災害時や何かあった時、みんなでがんばれるようなコミュニティがあったらいいなと思っています」。偶然にも、勝命サブセンターの脇に鎮座する勝命神社の御祭神は、イザナギとイザナミを仲直りさせた伝説から「縁結び」のご利益があるとされる菊理媛命(くくりひめのみこと)。人との縁を結ぶという点はまさに、これから来田さんが目指す目標と合致している。
「長屋文化の復興を、いつか実現してみたいですね」
来田さんの温かい眼差しは、新しい形のこども食堂へと進化する次の「タイミング」を待っているかのようだった。あなたも来田さんのように、阿波市に移住して新しいご縁を見つけてみてはいかがだろうか。
みんなで子育てネットワークが作れたらいいですね。
やっぱり、「ラテン系」なひとたちです。みんな元気で面白い、この人たちはメキシコ人みたいだなって思いました。
<キーワード>
*1
補助金:阿波市では「阿波市定住促進リフォーム補助金」などの補助制度があります。その他詳しくは、「移住促進」・「阿波市への移住 ・ 阿波市移住交流支援センターについて」をご覧ください。
*2
2018年時点の情報です。
*3
アワーズ:正式名称は「ショッピングプラザアワーズ」。今年で開業26年目をむかえた、地域に根ざしたショッピングモール。
*4
ツリーハウスの森:アワーズの北隣に広がる、自然を生かしたこどもたちの遊び場。誰もが楽しめるように設計されている、阿波市を代表する人気スポットの一つ。